「いきなり……なにを、言ってるの?」
流《ながれ》の意味深な発言に、心臓がバクバクと音を立てている。 この男はいったいどこまで気付いてる? それともただ何かの思い違いをして、こんな事を言い出しただけなのか。 でも彼の傍で、鵜野宮《うのみや》さんが意味深な笑みを浮かべていたから……「それ以上、近付かないで! いますぐにここから出ていかないのなら、大声出すわよ」「はあ? あのなぁ鈴凪《すずな》、俺に構って欲しいのなら素直にそう言えって」 自分が優位だと思っているのだろう、そんな余裕の薄ら笑いを見せて流が私の腕を掴みかけたのだが。 逆にその手首を別の誰かに捕まれ、慌てて二人が振り返る。 そこには先ほど部屋を出て行ったはずの白澤《しらさわ》さんが、怖いくらいの無表情で立っていて。「これは、何の真似ですか?」 ギリギリと流の手首を、強く締め上げているのが分かる。白澤さんって見た目よりも、ずっと力が強いのかもしれない。 美人は怒ると怖いとよく聞くけれど、今の白澤さんを見ていたら確かにそうだと思った。「彼の手を離してもらえないかしら? 私はただ、朝陽《あさひ》の「ええと……この状況は、何なんでしょうか?」 予想外のこの状態に、私は目を泳がせながら自分に覆いかぶさっている相手に問いかける。それがこの人を余計に喜ばせるだけだと、冷静に考えれば分かるはずだったのに。 残念な事に私の頭は、お酒に酔ってだいぶ思考力が低下していたようだ。 それをちゃんと理解してるはずなのに、朝陽《あさひ》さんは私に容赦してくれる気はないらしく……「何って、鈴凪《すずな》のご期待に応えてやろうかと。お前はずいぶんと、俺に対して不満があるようだし?」 そう言って妖しく微笑む朝陽さんが怖いと思うのに、抗えない程の魅力があって。 そもそも不満があるって言っても、それは普段の彼の私に対する態度であって……決してこういう意味ではない。 朝陽さんはその事に気付いている筈だ、なのにどうしてこんな事を? とにかくこの状況をどうにかしなきゃと、働かない頭で必死に考えるのだけど。「あの~、それとこれはちょっと違うっていうか。なので……」「ごめんなさい、は無しだからな? いまさら謝られても、止めてやる気は全くないから」 私に最後まで話させる気はないらしく、言葉を重ねて黙らさせられる。ハッキリと止めてやる気はない、なんて朝陽さんが言うとは思ってなかった。 しかも私が慌てだすと、彼は自身のネクタイを見せつけるかのようにシュッと外して。 まさか、とは思うけど……「朝陽さん、それ本気……なんですか?」 彼ならば、これも『悪戯だ』と言ってくれるんじゃないかって。そんな淡い期待を持ってた自分が、やっぱり甘かったようで。「ここまで煽ったのは、鈴凪の方だろ? 責任は取ってもらうって、俺はちゃんと言ったからな」「ーーえ? う、うそでしょっ!?」 片手で私の両手首を掴んだ朝陽さんに、ネクタイで両腕を縛られてしまうまでそう時間はかからなかった。 もしかして、かなり慣れてるんですか? ってくらいの手際の良さに、ただ驚きしかなくて。「どうして、こんなことを?」「……俺は出来る限り優しくしたつもりだった。お前を初めて抱いた、あの夜は」「――っ!?」 朝陽さんから唐突に言われて、あの一夜のことが瞬時に思い出され頭が沸騰するかと思った。 あれからお互い、一度だってその事に触れたりしなかったのに……今そんな事を話すなんて、あまりにも狡すぎる。 この人にどれだ
「ふふっ、朝陽《あさひ》さんの綺麗なお顔が台無しですね~!」「はぁ? お前なあ……」 もともと整いすぎてるくらいだから、むしろこうした方が愛嬌があっていいかもしれない。酔っぱらいの相手をするのが面倒なのか、朝陽さんはされるがままになっている。 でもそれじゃあ面白くないな、と思って。 つねるのを止め、両手で頬を挟んで頭ごと強引に引き寄せた。するとバランスを崩した朝陽さんが、ソファーに座っていた私に跨るような体勢になってしまって…… 思ったより近くに彼の顔があって、そのせいで私の心臓が大きく跳ねたような気がした。目を背けてるはずの自分の感情、でもこの胸の騒がしさはどうにも出来ない。 慌てて、朝陽さんから顔を背けると……「酔っぱらって、簡単にそんな表情を見せるな。馬鹿が」「……ええ〜?」 そんな表情とは? 自分が今どんな顔をしてるか分からず戸惑ったが、そもそもそんな事を言われなければいけない理由が分からず反抗的な態度をとってしまう。 酔いすぎたせいで、自分が彼に構ってもらいたくなってる自覚も無くて。「えー? じゃない、いま自分がどんな間抜け面してるか分かってないだろ」「……朝陽さんって、いつもそうですよね? 私にはそういう事ばっかり言ってくるし」 何だか心がピリピリしてる。こんな風に子供みたいに拗ねても、呆れられるに決まってるのに。でも一度口から出てしまった言葉は、全然止められなくて。「それに眼鏡を外すと、ドSだし凄く意地悪でヤなところばっかり。それなのに……」「……おい、鈴凪《すずな》?」 こんなことしたって、朝陽さんにダメージなんて与えられっこないのに。どうして私はこの人に、構ってほしくなっちゃうのだろう? 頬に添えていた手を移動させて、朝陽さんの眼鏡のテンプルに触れる。「この顔が好み、ってわけじゃないんだけどなぁ……」「俺に喧嘩を売ってるのか、お前は?」 そうじゃない。ただ無性に、眼鏡をかけてない朝陽さんの素顔が見たくなっただけ。眼鏡のレンズ越しではない貴方の瞳に、ちゃんと私を写してほしくて。 朝陽さんが抵抗しなかったので、私は彼から眼鏡を奪ってサイドテーブルに置く。この人の素顔を見るのは初めてなわけではないけれど、何だかいつもとは違う気がする。「……ちゃんと責任とれるんだろうな? 鈴凪が、自分でやったんだから」「ふ
『ガチャン!』と、いつもより乱暴に玄関の扉が開閉された音がして。 ポヤポヤとした頭で、やっと朝陽《あさひ》さんが帰って来たのかな? なんて考えていると、彼はドスドスと音を立てて廊下をこちらに向かって歩いてきて。「おい、鈴凪《すずな》! お前、どうして一人で勝手に帰ったりした……は?」「ふふっ、ちょっと遅かったですねぇ。コレもう全部、飲んじゃいましたよぉ?」 私が手に持った瓶を、朝陽さんは唖然とした顔で見てる。もしかしたら、彼もこれを飲むのを楽しみにしていたのだろうか? でも、もう空っぽだからどうしようもないよね。 焦った様に近付いてきた朝陽さんに、手に持っていた酒瓶を奪い取られたがそれも何だか可笑しくて。「鈴凪、お前……コレ、全部一人で飲んだのか!?」「そうでーす。残念でしたね、早く帰ってこなかった朝陽さんが悪いんです~」 帰る前に「お祝いです」と白澤《しらさわ》さんから渡されたこのお酒、一杯だけのつもりでグラスに注いだら止まらなくなってしまって。 沈んだ気持ちのまま朝陽さんと顔を合わせにくくて、ちょっとだけ気晴らしになるかな? なんて軽い気持ちだったのだけど、今は凄くふわふわして楽しい。 ニコニコと笑う私に、朝陽さんは怒ることも出来ず頭を抱えてしまっているけれど。 ……ごめんなさい、朝陽さん。 今夜もしかしたら鵜野宮《うのみや》さんとヨリを戻すことになった、と言われるんじゃないかって怖かったんです。 仮でも、今日くらいは朝陽さんの愛され婚約者のままでいたかったから。「だからって、こんな度数の高い酒を……このバカ」 私から取り上げた酒瓶を確認しながら、まだブツブツ言ってる朝陽さん。そんな彼の袖を引っ張って、拗ねた子供のように我儘を言う。「ふふ、今夜くらいは優しくしてくれても良いじゃないですか? どうせ、もうお役御免になるんですし」「あ? お役御免って、いったい何を言って……」 彼は私が何も気付いていないと、そう思っているのだろうか? 朝陽さんが私の言葉より鵜野宮さんの事を信じていたり、隠れて彼女と会っていたことも全て分かっているのに。 それともこの人はまだ鵜野宮さんとの【駆け引き】を続けていて、私はそれに付き合わなければいけないの?「……だって、契約なんてもういらないでしょ? どうせ、もう答えなんて分かってるんですか
「え、朝陽《あさひ》ですか? 彼なら帰る前にホテルの支配人へ挨拶をしてくると、五分ほど前に部屋を出て行きましたよ」「ああ、そうなんですね。私が着替えを終わるのくらい、待っていてくれてもいいのに……」 短い期間でも結構無理を言って婚約式の準備をしてもらっていたから、私も今日のお礼くらい言いたかったのに。そうぶつくさ呟いているのが聞こえてしまったのか、白澤《しらさわ》さんがミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくれた。「朝陽は鈴凪《すずな》さんに、これ以上の無理をさせたくなかったのでしょう。まあ、それも素直に言葉には出来ないでいるようですけれど」「本当にそうなんでしょうか? 結局、私は彼の足を引っ張ってばかりで……呆れられたんじゃないかなって」 あれからしばらく一人で頭を冷やして、落ち着いてからフロアに戻りはしたけれど。自分で思っていたような演技が出来ず、かなり朝陽さんにフォローしてもらうことになって。 そのせいか少し自己嫌悪に陥っている部分もあり、いつものように前向きな自分になかなか戻れないでいる。「もしかしたらまだ話してるかもなので、私もちょっと見に行ってきます」「分かりました」 もし入れ違いになった時のため、白澤さんには部屋で待っててもらい急いで支配人室まで向かっていると……廊下の向こうから微かに耳に入ってきた、その聞き慣れた声。「どういうつもりだ? 俺の婚約者に近づく必要が、今のお前にあるとは思えないが」「あら? 私は元彼女として、鈴凪さんを応援しようと挨拶しただけにすぎないわ。どうせまた貴方のお父さんが邪魔をしてくるでしょうから、私の経験談を教えてあげようと思ってね」 廊下を曲がった向こうにいるのは、朝陽さんと鵜野宮《うのみや》さんで間違い無いだろう。会話の内容から朝陽さん達の過去はなんとなく想像つくけれど、今の二人の間には妙な緊張感があって。「だいたい私でもダメなのに、彼女にOKが出ると思ってるわけないわよね? それとも、いろいろな相手を試しているってとこなのかしら?」「……そんな風に、鈴凪の事を考えた事はない」 鵜野宮さんのクスクスという笑い声が、嫌な感じで耳に残る。どう考えても自分は見下されていると気付かされる、思っていたよりも彼女はずっと根性悪い女性だったようで。「ふふ、もう懐柔されちゃったのかしら? ま
「朝陽《あさひ》さん、ちょっと待ってください! さっき白澤《しらさわ》さんが、二人を追い払ってくれたばかりなので。すぐに頭を整理して、きちんと説明しますから」「……いいえ、鈴凪《すずな》さん。私も朝陽に話しておきたい事がありますので、貴女はまだ休んでいてください」 白澤さんはそう言って私をソファーへと座らせてから、朝陽さんに向き合うとさっきの出来事を話し始める。 彼は自分が最初に席を外したせいだと説明してから、戻ってきた時の状況まで細かく朝陽さんに伝えたのだけれど……「……本当に、アイツがそんな事を? もしかしてそれは元婚約者の守山《もりやま》が、勝手にやっただけなんじゃないのか」「今の説明を聞いて、朝陽は本気でそう思うのか? 私からすれば、あの女ならこれくらいの事は平気でやると考えるが」 今ここで起こったことを話しても、朝陽さんは信じらないというような顔をしていて。 確かに乱暴な行動をとったのは元彼の流《ながれ》だけど、彼にそうさせていたのは……多分、鵜野宮《うのみや》さんの方だ。 そんな中で意外だったのは、白澤さんが鵜野宮さんに対してハッキリと嫌悪感を表していること。先程の二人のやり取りから、あまり良い関係ではなさそうだとは思っていたのだけど。 「今回のことだって……彼女がスタッフを買収して、私を鈴凪さんから遠ざけたことにすぐ気付くべきだった。私のミスで鈴凪さんに怖い思いをさせて、本当に申し訳なかったと思う」「いいえ。私はギリギリで助けてもらえたので、それだけでありがたかったです」 何度もすまなそうに私に謝る白澤さん。そんな彼を目の前にしても、朝陽さんは今も戸惑った表情のままで。 「まさか、あの梨乃佳《りのか》が? この部屋に来てまで、鈴凪にそんな事をするなんて。いったい、何のために……」「朝陽! お前は少しくらい、鈴凪さんの気持ちも考えて――」 白澤さんは私の為に、朝陽さんにそう言ってくれたのだろうけれど。自分で思っていたよりもダメージが大きかったのか、とうとう限界を感じてしまって。 「……すみません。気持ちを落ち着けたいので、少しの間だけ一人にさせていただけませんか?」 「分かりました。とりあえず私と朝陽は、フロアの方に戻りますので」 私のその言葉に、すぐに応えてくれたのは白澤さんの方で。婚約者であるはずの朝陽さんは、私
「いきなり……なにを、言ってるの?」 流《ながれ》の意味深な発言に、心臓がバクバクと音を立てている。 この男はいったいどこまで気付いてる? それともただ何かの思い違いをして、こんな事を言い出しただけなのか。 でも彼の傍で、鵜野宮《うのみや》さんが意味深な笑みを浮かべていたから……「それ以上、近付かないで! いますぐにここから出ていかないのなら、大声出すわよ」「はあ? あのなぁ鈴凪《すずな》、俺に構って欲しいのなら素直にそう言えって」 自分が優位だと思っているのだろう、そんな余裕の薄ら笑いを見せて流が私の腕を掴みかけたのだが。 逆にその手首を別の誰かに捕まれ、慌てて二人が振り返る。 そこには先ほど部屋を出て行ったはずの白澤《しらさわ》さんが、怖いくらいの無表情で立っていて。「これは、何の真似ですか?」 ギリギリと流の手首を、強く締め上げているのが分かる。白澤さんって見た目よりも、ずっと力が強いのかもしれない。 美人は怒ると怖いとよく聞くけれど、今の白澤さんを見ていたら確かにそうだと思った。「彼の手を離してもらえないかしら? 私はただ、朝陽《あさひ》の今の婚約者にお祝いを言いに来ただけなのだから」 さりげなく強調された「今の婚約者」という部分、そこに鵜野宮さんの本音が見え隠れしてる。 つまり、この人は新しく朝陽さんの婚約者になった私の存在が気に入らないようだ。 ……朝陽さん、良かったですね。 貴方の考えたこの計画は、ちゃんと鵜野宮さんの心を揺さぶれているみたいですよ? この様子ならば、私がお役御免になる日もそう遠くないのかもしれない。 彼女がちゃんと朝陽さんだけを見てくれれば、それで私と彼の間で交わされた契約は終わるはずだから。「貴女の小狡いその性格、以前と変わらないですね」「あら……貴方なんて私が朝陽に言えば、どうにでも出来るってこと忘れてるんじゃないかしら?」 白澤さんを煽るように、鵜野宮さんはとんでもない事を平気で口にする。そんな状況に